2010年1月27日水曜日

新聞の危機を考えたゾ

<写真:ロイター通信より引用 ハイチ報道写真(クリックでジャンプ!)>

たった今、読売新聞のセールスマンが名刺も持たずに訪問に来た。

怪しいのだ、とにかく怪しい。

必死なのだ。怪しさ増幅な感じで必死に売り込みをしようとする。

玄関開けた途端、すぐに京都市指定ゴミ袋を手渡してきて、気を引いてから身分も明かさぬまま(何新聞かもこちらが聞くまで明確にしなかった)唐突早口に話が始まった。


ちなみに現在、私は地域の新聞で地域の情報を得よう、と京都新聞朝刊を購読中。

市内の主な展覧会やイベントの協賛をしているので、チケットを優遇してくれたりとかなり条件よく契約させてもらっている。

しかし、実際問題あんまり中身を熟読する時間もなければ、それだけ時間を割く必要性も感じないのが現実。

ニュースはtwitterで速報が得られるし、日々の大きな話題は朝と夜のTV報道番組でいいし、msnやyahooなどのサイトで最新の情報を得ることができるし、もはや新聞を腕を大きく広げながらめくることにメリットがなかなか感じられなくなった。ゴミも増えるしね。

はっきり言って新聞の時代は終焉に向かっている。
それはNYタイムズのやや焦りのある動きからも感じているし(ネットの記事閲覧を一部有料化へ)、なにより消費者としての生活実感として思うところだ。


読売新聞のセールス兄ちゃんの話では、こうだ。

近畿の地方紙がどれも経営不振になっていて、新聞業界が危機的状況にある、と。
定期購読者も大幅に減っている。
つまるところ、読者の獲得戦争でもある、という話。

何としてでも、1か月だけでも読んでみてくれ、と必死なのだ。


フリーペーパーでさえ廃刊が多くなった紙媒体衰退の時代。
私の思うところ、読者が多かろうが少なかろうが、もはやそんな理由で広告獲得の是非が問われる時代じゃなくなったんじゃないだろうか。
多くの読者→広告料獲得という意識自体、もう捨てなければいけないんじゃないだろうか。


セールス兄ちゃん曰く、京都新聞が今うちにしてくれているような展覧会のチケット優遇サービスや購読料金の融通、契約時の景品などといった過剰なほどの新聞サービスは、3月から一斉に規制強化となるらしい。
契約時の景品は上限2000円、チケット優遇は廃止、購読料金融通も廃止、と。
ほんまか?うーむ、お兄ちゃんの口ぶりでは、どうもほんまらしい。(契約させるための巧みな嘘だったらガセネタです。ごめんなさい)

そりゃあ、ある程度京都のことも分かった今となっては、展覧会チケット以外に京都新聞の魅力は見いだせないのが本心ではある。
コンテンツ的には、読売のような全国紙の方が様々網羅しているにちがいないことは、想像に容易い。
展覧会チケットの優遇がお兄ちゃんの言うように本当に3月からなくなるのであれば、京都新聞を続ける理由はないかもしれない。

私が密かに次は…と考えていたのは産経エクスプレス。タブロイドサイズの若者向け新聞、という感じのアレ

1部100円という安価だし、持ち運びしやすいこと、ART関係の紙面が内側に別で設けてあるので、分離させて読める点が魅力だと思うのだ。
コンテンツははっきり言って、必要最小限という感じだが、毎朝忙しい人間には、あれぐらいで新聞へのニーズは満たされるような気もする。

とまあ、京都新聞の魅力と産経エクスプレスの魅力を話して、契約たのんます攻撃をかわそうかとジャブを打ったのだけど、読売セールス兄ちゃんの話では、産経エクスプレスはキムタクのCMを流していた2年前(?もっと前じゃなかったか??と思ったが)には伸びたものの、今では売れ行きが非常に悪く、近畿全域ほとんどの新聞屋が戸別配達を取り扱ってない、とのこと。(ほんまか??)首都圏はまだしも、関西では全く駄目な新聞だと。
そうなのか。
今も時々キヨスクで買うのに…。


とにかく、「僕らも食べていくのに必死なんです」と懇願されると新聞業界で生計を立てておられる事業所の方々の切羽詰まっている感じがひしひし伝わってきて断りにくくなってしまった。
1契約するごとの出来高制なのだとか。
1か月でもいいなら…とど短期のお試し購読にしておいた。

よく知らんが、新聞を読む人口はおそろしく減っているんでしょうね。
私のマンション、ほとんど新聞契約していない家ばかりなんだとお兄ちゃんは言うのだ。
新聞代月々3500円。
情報を得るために払うには、安い金額だと私は思う。制作する側の尽力を考えれば、そこは納得する。
だがこの時代、情報はタダのものが多い。
それもかなり信頼性のある情報、さらに超フレッシュな情報までもがタダの時代。
また、情報収集することにもソースがたくさんあるのでそんなに労力が要らないことが多くなった。
報道のプロからしたら、およそ許せない発言だろうとは思うが。
確かに、取材で得る生の情報には今も変わらず価値がある
しかし、生の情報を発信する側が、何も報道のプロである必要がなくなったのは間違いがない事実である。

NYハドソン川の飛行機不時着事故、四川大地震、ムンバイテロ、この度のハイチ大地震でも、それは証明された。

毎日新聞が危ない、という話を最近何かで聞いた。
大阪のあの美しく立派ででかい一等地のビル(大阪支社)を見る度、信じられない話だ。
でもあのJALが倒産し法的整理に入る今、大企業だからと言って、倒産はあり得るのかもしれない。


新聞の行く先に光はあるのだろうか。
新聞がネットとの親和性を高め、ネットで収入を確保するとなった時、どれだけの人が仕事にあぶれ、素人も同次元で発信するtwitterやブログとどれだけ差別化を図ることができるのだろう。

情報受け手側のメディアリテラシーももちろん重要だが(「メディアリテラシー」という言葉自体、多様なメディア形態が当たり前になった昨今すでに死語になっている)、情報発信側のターゲットやニーズを絞った戦略も大事になってくるだろう。新聞社の発信する情報は全てを網羅しようとして多くの情報は広く浅い印象だからだ(キーワードで検索されるネットの中では重宝されない)。
これでは、ネット上にいる数多の専門家ブロガーに負けてしまうだろう。
専門家の分析などは、記者がどこぞの大学教授に直接取材をするより早く深く、ブロガーがやってしまっているに違いない

ああ、悲しき紙媒体。
文芸書籍や新書などの意見をまとめたもの、学習参考書あたりは引き続き私も本屋で買いたい。
でも情報誌系、特にタウン誌に関してはすでに血を見る制作状況ではないだろうか。
だって、まったく不要だからだ。よほど面白い、目新しい要素がない限り、タウン誌などそもそも手にとらない。手にとらないどころか、棚にさえ行かない。

ここまで言ってしまうと、じゃあ2009年中に私が捧げたマスコミ勉強の時間は何だったんだということにもなるが、半年にわたるモノカキ学校はただのカルチャースクールだったと割り切った方がいいと最近は確信するに至っている。

ああ、ああ、時代の流れと相俟って不況のあおりを受け、危機を増幅させる紙媒体。

情報の価値ってなんだ。
価値のある情報ってなんだ。

そんな疑問を感じずにはおれない、壱ブロガーのワタクシ。

それもこれも、読売新聞セールス兄ちゃんの訪問のおかげじゃ。


答えをあえて出さぬが大人社会。
疑問を投げかけて今日はここまでに。



ほいじゃあ☆